それでいま、シーマンシップと言われたのですけれども、僕もレースでないときは、いつも家族を海に連れていくことにしております。海を見ると子供は絶対出たいというのですが、今日は天候が悪い、これは経験がものを言います。家長(父親)が今日は出れないと言えば、絶対に出れないわけです。ですから家族のなりたちみたいなものもシーマンシップを通じて組み立てていくとか、そういうことで海のスポーツはバランスがとれていると思っています。
吉村 以前千葉房総の海岸でしたか、モーターボートを買ったばかりで東京から家族や知人を連れていって、その日、たまたま海が荒れていた。ところがせっかく来たのだからといって、地元の漁師たちが止めるのに、外海へ出でいって転覆し、何人か犠牲者が出ました。こういう話を聞きますと、僕らは非常に残念に思うんです。
泉さん、海洋文化を育てるという視点から、日本に残されている課題と言うのはどんなものがあると思いますか。
泉 私は二つあると思います。
一つは、海辺の都市というものをこれから育てるべきではないか、今までも東京周辺にも海に向かった都市はありますけれども、残念ながら陸の文化や陸の考え方で、海を征服しようとする感じの町が多過ぎるのです。そうではなくて海と共存していくすばらしさ、楽しさ、美しさ、そういうものをもっと大胆に取り入れた町があってもいいのではないのでしょうか。代表的な町を申し上げますと、ベネチア(イタリア)なんですね。あそこは土地がないのです。全部が海です。魚しか住めないといわれていた所に、数百本の松杭を打ち込み、その上にあんなにすばらしい町を造って、五百年以上経っているわけです。ますます世界の人はベネチアを愛する−そういう海の持っている開放性とか国際性とかいうものを、もっと大胆に都市生活に取り入れた町造りといったものが、港の文化といってもよいと思います。船に乗ったり泳いだりすることだけが海の文化ではなくて、海と接する対応の手段を持っている−それが海の文化だろうと思います。
そういう点で言いますと、私は海を考えるとき、いつも女性の視点から考えようと思っているのです。二冊すぐれた本を私は絶えず繰り返し読んでいますが、一つは大西洋を横断したリンドバーグの奥さんがお書きになった「海からの贈り物」Gift from the sea これは、海辺で安らぐひとときというのが、いかに人生を豊かにしてくれるかということを書いた本です。
もう一つは余りにも有名なレイチェル・カーソンの「沈黙の春」という、環境問題の原点となった本と並び称せられる名著の「われらを巡る海」です。この二冊は、私は海の問題を考えるときに、いつも女性の視点から考えようと思っています。私たちは、海というと割にスポーツとかレジャーとかというふうに考えますが、それと同時に、海と人間のもっと文化史的なあるいは文明史的なつき合いというものも、同時に勉強しなければいけないのではないでしょうか。単純に海は○○だというのではなくて、海はわれわれの古里であると同時に精神にも、科学にも非常に大きな、例えばいま私たち最大の影響を受けております進化論は、海が生んだ哲学ですね。ガラパゴスを中心とした海が生んだ哲学、そういう海の文化・文明と

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